東尾張乱射事件

【次回の記事予定】「お金」で「愛情」や「友情」が買える『脳内麻薬 ドーパミンの正体』を読んだ感想。

NUDE or Higashi

Owari Ranshajiken

ざわざわざわざわ

もしこの手に銃があったら?その銃を打たねば明日がなく、それを規制する言葉が◯◯◯◯◯◯◯みたいなのだとしたら……

心臓を貫かれて〈上〉 (文春文庫)

心臓を貫かれて〈上〉 (文春文庫)

心臓を貫かれて〈下〉 (文春文庫)

心臓を貫かれて〈下〉 (文春文庫)

『心臓を貫かれて』マイケル・ギルモア(著)

いつか読まねばと、ずうっと気懸かりだった美味しそうな一冊。

 訳は村上春樹。翻訳をすすめたのは奥さんだと解説にあり。
 1976年のアメリカで起きた殺人事件をもとにしたノンフィクション本。 著者のマイケル・ギルモアは、処刑されたゲイリーギルモアの弟で、生業は音楽ライターとある。そんなライターの書いた伝記本、プロの技というわけなのか、もしくは村上訳が超絶にすぎる!からだろうか。読みすすめてわずか数ページのうちに(!)そんなことあるはずないだろう、そんなスピリチュアルな現象がさっ! そういった自問自答を、僕の場合なんどか胸中でつぶやく読書体験となった。ある意味、起きてしまった事件やノンフィクション伝記とは、全くちがう次元で、村上ワールドが盛んに問いつづけている、血や暴力、その土台となる個人を超えたなにか、ひとりぽっちではとうてい抗えない事実の壁、事実が記号となり、記号が宿命となって語りかけてくる。その宿命をば、もはや訥々と受け入れんがためのこれは副読本である、とこのような塩梅に読めてしかたなかった。


 悲劇というスポットがあてられるのは、犯人(著者の兄)だけではなく、彼の両親、祖父、そして著者自身にも萌芽しつつある闇の幾つか。同じく闇を纏った、二人の兄。あるいはモルモン教やエホバの証人、日本にはまだある死刑制度についてなどが、切々と一人称で語られていた。


 じゃっかんカポーティの『冷血』に似ていなくもない。ただ、こちらは事件の残虐性にはあまり触れられてはおらず、どちらかというと人が生きるために養ったであろう、生活的な図太さや、繊細さや、意識されない残酷さや、忍耐力が、ちょっとした掛け違いを起こし、そこに生まれるヒステリックな暴力性、に加えて、宗教的な神話が及ぼすであろう恐怖。そんな不安な人たちの共同体の胚胎するであろう法、これが規律だといって行使してくる不条理な命令の一つ一つ、そんな汚濁しきった空間をまえにして、若くして生まれた人は、その根源になんら悪意などなくとも、暴力的になり、そしてときとして愛する人を救いもする。が、このギルモア一家の周りには、誰も救われず、ただひたすらに人が傷つけられる世界が描かれていたというべきか?
 とにかく重い、読後感。

冷血 (新潮文庫)

冷血 (新潮文庫)

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