東尾張乱射事件

【次回の記事予定】「お金」で「愛情」や「友情」が買える『脳内麻薬 ドーパミンの正体』を読んだ感想。

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Owari Ranshajiken

ざわざわざわざわ

三島由紀夫を読んでみるPart1 生身の筋肉なんて幻にすぎないんだ―説

『鏡子の家』三島由紀夫(著)

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

ざっくりとしたあらすじ

 社会に出たばかりの四人の青年と、鏡子という今で云うカリスマ女子が主軸のお話。

時代は吉田内閣終焉後の、鳩山一郎の政権下、

いわゆる55年体制期。小説の描写によると、元貴族といって得られる権益がまだ生きており、鏡子という女子はそんな高等遊民の一人。おまけに美人でバツイチ、また、一女の母でもある。が、母らしい家事や世話はあまりしないし、誰からも求められていない。それゆえか俗社会への少し冷めた関心に富み、その情報元となるのが、鏡子の親友である4人の青年たち。青年たちは大学を出るとそれぞれ、プロボクサー、画家、売れない俳優、商社マンとなる。彼らはかつては大衆を愚弄し嘲笑していた。この欺瞞にすぎる社会構造などとうに把握しきっているのだという視点をもちつつ、いざ社会人となると、右に未来を、左に死を見ずにはおれない毎日が堆積してゆく。存在の不安と虚無的な時間が、彼らの鈍磨した内心を蝕まみはじめる。理想の醜悪さを罵りながら、隷属的な社会人として愚直にすすむ他ない日々。そおして畢竟、この生を諦観するほかないという絶望の曲がりかどに辿り着いてしまう、とぼくは読んだ。

<感想>

 文庫で545ページもあり、うち序盤200ページあたりまで読むのになぜかに苦読した。が、その線を越えてしまうと俄然おもしろくなった。ヒマと体力さえあれば一気に読めそうなほど引きつけられた。ちょうど4人ぶんの絶望がバランスよくおさめられている。いったいどこでどう調べあげたのか、青年たちの吐く毒と、副飲すれば見えそうな希望を、裏に表に詳細に書き分けてあった。
 文庫解説者のばあいは絵描きの青年、画家の世界感をピックアップし、そこから芸術に関するうんちく、次いで文体に関するうんちく等を、あれこれ披瀝しうまい具合に解説枚数をこなしていた。
 解説者の名は田中西二郎とある。もしかしたらちょい前から少しづつ読み進めている『白鯨』の翻訳者なのかもしれない。いちようネットで検索すると、この田中という人のみが当時、『鏡子の家』を絶賛していたらしいとあるので間違いなさそうである。



完全版 平凡パンチの三島由紀夫

完全版 平凡パンチの三島由紀夫

ちなみに『平凡パンチの三島由紀夫』椎根 和 (著) という文庫でも当時、三島由紀夫の期待に大きく反し、『鏡子の家』の評価があまりにも不評であった件について触れていた。三島由紀夫が何ヶ月も書斎にこもりきり、自信をもって世に問いただした結果が、

青っぽく空虚なシニシズムと暴力

 現代語に訳すと中二病とでもいうのだろうか?
 キモいと言われるその核心から離れようとしても、それは必ず追ってくる。名称がたまに変わる。いくらその語句の形容を変化させても付いてくる。どうしたって前世の罪のように、目を閉じるとじめじめと羞恥が付いている。

なぜそんな「青っぽい」汚濁が付いてくるでさうか?
なぜ此処にわたしはいるのでさうか?
そうしてこのつまらない日常からどうやって抜け出てたらよいのでさうか?

 そんな問にたいして、僕は答えられそうもない。で、この小説でそうしたような問いに理路整然と応えているのかというと、それは「なぜ僕には金が無いのか?」という問いに対して僕がちゃんと答えれるのと同じような経緯で応じている。関係性やあり得るだけの可能性を示している。韜晦な形容詞や、逆説的な比喩を駆使しながら描かれている。

けれどもじゃあ、さてその結論はどうなのかというと、例えば俳優志望の美形な青年のばあい、彼は己の外見のみが美しいと自負している。そしてその肉体美こそが己の存在の全てと仮定するようになる。その美こそ自分。その美こそ失われてはならない永遠である、と。そおしてその美は現在にしか在りようのない無二の自己であり、そうなると次にその肉体美を真に理解してくれて、あわよくば崇高なまでに崇めてくれる他者、近親者以外の女性、彼はそのような異性の承認を欲し、ある日のこと、あえて外見の醜い年上の女性と関係を持つこととなる。彼の望みどおり、年上の彼女はかれの肉体を崇拝してくれた。愛など微塵もなく、肉体美の真の理解者でありさえすれば全てが整うのであった。そうなると自然かれのこの現実界への執着も薄れてゆく。そのいっぽうで彼女のほうは、彼の肉体をほんとうに美しいと認めているがゆえに、その理解者としてはつぎ、彼の胚胎しているであろうその永遠の肉体美を、是非とも「金閣寺のごとく破壊したい」といった望みが生まれる。

やがてこの美男醜女のカップルらは、自覚的に計画的に男の肉体を刃物やなにかを用いて損壊を開始する。美の損壊。血の儀式。男は自身の肉体が他者から損壊されればされるほどに、もとあった美と己の唯一無二性のような存在の安寧に恍惚となってゆく。と同時に、だから私は存在していたのだいったような頭でっかちな妄念など取るに足らないものとなる。もうただひたすら死への衝動を抑えられなくなる。というか全力でこちら側に対して抽象的でありながら具体的な「死」をオススメしているように読めてしかたがない。
 一つ難を言えばタイトルがどうもぱっとしない。

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