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東尾張乱射事件

【次回の記事予定】「お金」で「愛情」や「友情」が買える『脳内麻薬 ドーパミンの正体』を読んだ感想。

NUDE or Higashi

Owari Ranshajiken

ざわざわざわざわ

『なぜ、脳は神を創ったのか?』と『田中角栄の昭和』を読んだ感想

新書

『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人(著)
 表紙がエロ本にありがちなショッキング・ピンクであるため、じゃっかん購入するのに躊躇した。んが、その内容は絶景の望めそうな高層たるビルをを見上げていたら、いつのまにか見えないはずの景色、それを越えて遥宙が網膜を抜けて脳にインプリントされてしまったというところ。韜晦な言い回しに陥ることなく、実にシンプルな構成をテーブルにし、その上にある平らな丸い皿には、凹凸激しき難解な抽象概念が、明快な口語調で表現されていた。
 ちなみにustreamに上がっていた動画の方も同様に得るもの甚大。新書では5章〆なのだけれど、ustreamの方では「まだ書かれていない6章と7章を、無料で公開します」と導入で始まる。


苫米地英人vs水道橋博士約111:05


 <感想>
 水道橋博士じゃないけど「師に一生ついて行きます」的な読後感。
 量子論と空とか、ユークリッド幾何学の誤解とか、ゲーテルの証明不能命題などなど、本来ならば、そのいちいちの単語の理解さえ覚束ない僕のような輩にも「うん、なるほどね。今、なんとなくだが想像できているのかもしれない」といった快楽をもたらしてくれた。そこがまず第一にに心地良かった。正確にいうと読んだそばからその抽象的イメージはまるきし自分のものになどなりはしないという己の蒙昧度が理解できる。だから、その後よっぽどそれら抽象的な単語について独学をすべきなのかもしれないと己の無学をかんがみるいっぽうで、第5章における著者のじつに奔放な、そして何にも遠慮することのない壮大なスケールの世界提案を読むにつけ、いささかセンチな言葉でいうところの勇気や、思考することの自由や喜び、そこから派生するであろう可能性というものを、僕はひょっとしたらはじめて意識したのかもしれない。
 

なぜ、脳は神を創ったのか? (フォレスト2545新書)

なぜ、脳は神を創ったのか? (フォレスト2545新書)






『田中角栄の昭和』保坂正康(著)
 以前に立花隆の『田中角栄の研究』というのにチャレンジしたことがある。チャレンジということは、上巻の途中で放っぽり棄てそのままという意。なぜ完読できかねたのかと思うに、たしか四角四面の引用にうんざりしたのだったか。田中角栄の錬金術をあからさまに腐す表現にうんざりしたためだろうか。もともと立花隆の本はとても読み易くて、とりあえず興味など全くなくとも、結果大満足の連続でいた。それがなぜか『田中角栄の研究』だけはうまく馴染めなかった。(『中核VS革マル 上』も読みにくい)
 ところがこのたび新書ということもあってかサクサクと読了できた。
 角栄の生い立ちから永眠するまでの年表が巻末にある。約400頁。なかでも一等興味深かったのは「角栄と戦争」についてのくだり。その記述は著者の取材から導かれたあくまでも「推測」らしいのだけれど、当時角栄は「仮病」を労して戦地から送還された男なのではないかというもの。ゆえに角栄は能弁家であると言われつつ、自身の戦争体験についてはほとんど言外することが無かったのではないかという見立て。勝手に進めていうと、己の存在をお役人から一方的に規定されてもなお角栄の場合、己がいったいなんであるかをはっきり自覚していたというところだろうか。「天皇の赤子だから」という数値付きのカード、常識的にはみんな同じカード、故にもっとも安全だとおもわれるカード。そんな目に見えるだけのカードを角栄は信用しようとしなかった。その人生においてつねにジョーカー、数値のない、ルールに遊びをもたらす大きな一枚、そいつを用いることを肌で意識するみたくにしていたのだろうか。
 著者は田中角栄の直感力や記憶力が人並み以上だと賛嘆していた。他方、その理念や思想のないことを若干蔑むような調子で謗りもしていた。そうして現在、田中角栄という存在が、そっくりそのまま昭和という時代の象徴であるという。角栄の政策から莫大な物質主義的な欲望人が誕生した。彼らの背をずんと後押してくれる政治家がいた。欲望人(国民)の多くが、美徳よりも打算がヨシと明言しそう生きた。そんな政治家を確かに支持したはずなのに。その欲望人(庶民)の代表が、ひとたび検察につらまったとなると、とたんに目の色を変えていっせい攻撃を仕掛けたという欲望人(世間様)。そうした意味での象徴でもないかというようなまとめで締められてした。
 ということは日本の政治家も庶民もあるていど思想やら哲学が必要ということなのかもしれない。「大」なる目的のために「小」なる手段の正当性が生きるということか。けれどその人間の想定する「大」なる目的とはなんだろうか? 万人が共有できるような目的はあるのだろうか? そうなると発想な貧困なぼくにはふとダース・ベイダーなり『マトリックス』の世界観に目先がむいてしまう。


田中角栄の昭和 (朝日新書)

田中角栄の昭和 (朝日新書)













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