恥と空気の国で、血と暴力の国を読む
- 作者: コーマック・マッカーシー,黒原敏行
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2007/08/28
- メディア: 文庫
- 購入: 11人 クリック: 182回
- この商品を含むブログ (123件) を見る
『血と暴力の国』コーマック・マッカーシー(著)
原題は『no country for old men(老人の住む国にあらず)』
で、劇場公開時のタイトルは『ノーカントリー』だった。当時自分のなかでは同じく人間というモンスター(ジャック・ニコルスン)の『シャイニング』のイメージがいやに重なって仕方なかった。そうして『ノーカントリー』を実際に見た感想は、こちら側に「何かを考えさせる」という良点があり、あるいは「意味不明の終わりかたをした」という生殺し感がありもした。つまりは功罪半々の作品という歯ごたえがずっとあった。が、今回原作を読んでついに氷解した、ような気がする……
〈感想〉
まず構成がそれとなくカッコ良かった。章のはじめの2ページのみがフォントを変えてある。一人称で語り。50代となった保安官の声が、時代と己を独自に総括してゆく。後悔をひきずって止まない疲れた語り。その他はすべて三人称で、事実のみを描写する。心理描写はほとんどなし。そのかわりマニアックげな銃器に関するディテールや、薬品や簡易治療にまつわる手順は、明日にでも使えそうなほど実際的かつ詳細でなのであった。なのにまったくくどくない。シンプルな文体。
さらにそのシンプルをより強めているのが独特の文章技法。普通、会話をしめす記号としてカギカッコ(「」)がつくのに、その記号がはずされてあった。誰がこう言ったなどの補語もなし。ちょうど絲山秋子の『ばかもの』が同じ手法をもちいている。あるいは長島有の小説では瞬時連続する会話ではたまにはずされていたりもする。それによってグンとリズムが良くなるからだと思う。
この気分はこれからもよくなりそうにない。おれはもう以前のようには信じていないことのために働くことを要求されている。以前と同じようには押し立てていけないものを信じるようにと。それが問題なんだ。おれは信念を持っていたときにすらそれに失敗した。そしてそれを見直し自分自身を見直すことを強いられた。いいことか悪いことかわからない。
あと訳者あとがきが、とても勉強になった。
要するにシュガーという男は、悪魔か、死神か、死の天使か、異星人か、あるいはベル保安官の言葉を借りれば「生きた本物の破壊の予言者」か、ともかく「純粋悪」とか「絶対悪」とでもいうような存在であるかのように描かれているのだ。ちなみにマッカーシー本人は、ヴァニティー・フェア誌2005年8月号のインタビューで、シュガーを「純粋悪(pure evil)」と呼んでいる。