■「やんちゃDE賞」、あるいは「冒険力」について
『賭けに勝つ人嵌る人』松井政就(著)
ラスベガスでの体験談と著者の「勝負哲学」といったところでしょうか。
ラスベガスといえばルーレット。(!)しょうじき僕には、今ひとつピンと来ないゲーム。が、そう思ったのは最初だけで、最後までとても面白く読んだ。
- 作者: 松井政就
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2002/03
- メディア: 新書
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もっとも、面白くなってきたのは中盤のスロットマシンのエピソードが出てきたあたりで、それは僕が過去にスロットマシンにえらく「嵌って」いた時期があったからだと思う。もう今ではとてもじゃないけど怖くて打つことはできない。
それゆえか、著者がジャックポット(当たり:777)を、何度もなんどもぶち当てる話のくだりは、「そういったパラダイスモードは、まったくもってありうる。フムフム」といった調子で、彼の小さな物語に同調させていただいた。
またそうした物語の合間あいまには、賭けをする上での心得的な格言らしきもちりばめられていたりして。
■Some people let golden opportunities them by, you know ?
(チャンスのすぐそばにいるのに、気づかない人っておおいのよ)
これはあるプレイヤー(お客さん)が、ジャックポットを出したのち、すぐに席をたって帰ってしまったことをうけての格言(戒めでしょうか)である。著者はこの台に座り、再度ジャックポットを引き当てたとある。
だからなんだ?といわれればそう思えてこないでもない話だけれども……。
■日本人は「実力」という言葉がすきらしく、学校でも社会でも「実力、実力」と言う。しかしこの「実力」という概念がどれほど日本人の成功の妨げになってきただろうか。
『実力で勝つうちいは二流である』
なにか厳選された超一流アスリートな人達が、似たようなことをあちこちで言っていたような記憶があるけれど。他には、
■滅多に起きない筈の結果を、運や偶然によって当てた人の前で、彼ら「実力偏重主義者」は沈黙せざる得ない。勝負事は数学の計算の確かさを競うこととは違うからである。
まるでウィトゲンシュタインの命題を暗唱するかのごときなめらかさである。
■Everyone 10 minutes of fame.
誰にでも光輝く「瞬間("10minutes")」がある。
これは著者がジャックポットを5回も当てたときのエピソードがあてられている。ちなみアンディー・ウォーホールも似たようなことを――たしかカメラの前で有名になれる――といったことを……
あとは「復元抽出」と「非復元抽出」の結果についてなど。
前者はサイコロの出る確率の話(なんども同じ目は出る)。後者はくじ引き(当たりくじが引かれる毎に、当たりくじの残り本数が減っていくたちのもの)や、最終章では「大数の法則」についても触れていた(ダイスは記憶を持たない)などなど。
なんにしてもギャンブルというのは不思議であるというより、そのギャンブルを面白がる人間の嗜好といったものを、僕はあらためて確認した次第。
■まだ知らされていない「未来を楽しむこと」。いや、さらにその楽しみにリスクを仕掛けてみせる「やんちゃ性」、あるいは「冒険力」と言ってもよいでしょうか。――俺