東尾張乱射事件

【次回の記事予定】「お金」で「愛情」や「友情」が買える『脳内麻薬 ドーパミンの正体』を読んだ感想。

NUDE or Higashi

Owari Ranshajiken

ざわざわざわざわ

■今や奴らのいいなり『ルポ貧困大国アメリカⅡ』

『ルポ貧困大国アメリカⅡ』堤未果(著)

 まえにPart1を読んだ。今なお残る記憶としては、新生児の死亡率が世界1位(先進国中)だということ。学費援助を受けるために若者が戦地へ赴くということ。会社(傭兵)から派遣された普通社員の人たちが普通に戦地へ赴くということ。その3点(もしかしたら記憶違いがあるかも)。


ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)


 とくに派遣社員が生活費捻出のために戦地へ赴くというくだりが、僕の想像をはるかに越えていた。
 ちょうど日本でも派遣村のことが話題になっていたはず。いまの愛知県知事の大村さんが大臣だったような。あるいは与野党関係なく派遣会社の役員におさまっている議員が派遣法改正に動いた等の噂やら。あるいは赤木智弘氏の『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。といった本も話題にもなっていたし(戦争になれば身分格差が解消されるという意味に僕は解釈〈未読です〉)そういう意味でとらえれば、たしかに戦争に行きさえすれば、例えその命が亡くなろうとも、ゆくゆくは靖国なんぞに英霊として祀られ、ひとまずは現世に生きるうえでの自己存在の確認が「とりあえずの今」デキる(救い)のかもしれないとも思ったりした。



 ところが、このアメリカにおける派遣制度ではすでに「希望は戦争」でもなんでもなくなっているという、この現実の冷たさ。もちろん話はアメリカのことだけれど、人生って往々にそういう冷たさがポイント各所に用意されているものだと、その当時に諦念したばかりだっただけに、ことさら残念に思いながら読んだ記憶がある。いずれ日本もそうなるなーと。


ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)


 そうして届いた悲劇のアメリカの現実が綴られた今回Part2。
 もうあのPart1を余裕で越えていた。日記用に付箋を貼ったけれど多すぎて追いつかないほどの悲劇・不条理の数々。おまけに奥付をみると2010年とあるからすでに3年前のこと。



こんな日が来るなんて信じられないよ。キング牧師の夢をオバマが引き継いだんだ。最近、僕の周りでまた急に入隊する若者が増えている。だって、彼は今日から16ヶ月以内のイラク撤退を公約にしているからね。(……)今入隊してもすぐ帰国できるはずだ



 僕もテレビでこの模様を見てアメリカはやっぱり革命の国、失敗をしたらちゃんと投票によって「変わるチカラ」がある国なんだなあ、とオバマさんのけっして笑みさえみせない真剣な演説。そしてこれは歴史的ないち場面にちがいないとありがたくあるいは羨ましくも拝聴したりした。

んが!!!

 

公教育の父であるホレース・マンは(……)「教育とは(……)社会の偉大な平等化装置だ」と表現し、無償教育の重要性と経済効果を訴えた。

(Horace Mann (May 4, 1796 – August 2, 1859) 




 その教育理念が「学生マーケティング機構」、通称サリーメイ(銀行や大学に学資ローン提供を奨励し、それらの債権を買取ってゆく)にあっという間に食い物にされてゆく。



国が教育予算を減らし、大学に学費を上げさせ、それを払うためにローンを組む学生たちに負担が押し付けられるという逆の結果を生み出している。

全米の大学生の三分の二が借り入れているローン総額900億ドル(9兆円)という数字は、何を意味しているのか?

 といったような第一章。そして本を読んでこうも暗鬱になるものなのかと、そんな自分にビックリしつつ、その感情移入の理由はなんだろうと今考えている。たぶん純朴に努力勉励すれば大成する的な教育を僕がこれまで受けてきたことに由来するのかもしれないし、社会に対する不満が相当にあるのだろうと思う。ビートたけしの格言的なもので「社会のせいにするな」というものがあるけれど、そもそも売れているやつが言う台詞じゃあないような気もするというか、たけしの貧乏話は好きだけれども、こうした自己責任なすりつけはほんとつまんない。まるで自己啓発本にある言説やヘイトスピーチと同じ音色がする。そこで思い出されるのが糸井重里吉本隆明に質問形式でつづった本にあった言葉で「どろぼうしたっていいんだよ」が自分的にはたいへんな真理だと、ことさら現在思っている(正確な言い回しは違うかもしれないが)。



 
 それからこの本を読んでいて思ったのは、いったいいつ何で読んだかは忘れてしまったけれど、よくドラッグ漬けになって廃人となる人を攻めるのは間違っており、彼らは、ドラッグ漬けになっているその刹那、この現実ではけっして叶うことのない多幸感に包まれており、また彼らがそう下した選択も、じつのところ大変に合理的でもあるのだ、というようなこと。もうとてもつもなく退廃的であり、たしかそれを読んだときも、システムのなかで奴隷と気づくことなく奴隷として生きるよりも、ドラッグ漬けのほうがまだマシだ。そしてかつて戦中にアヘン漬けになった人たちというのも、一部はそういう頽廃嗜好の人がいたんじゃないかと思ったりして。とまあ、第一章からして集中して読めば読むほど、そうしたシステムが今後日本にも導入されて、目にし耳にし人々の口からも、そうしたことが交わされる情景が浮かばざる得ないような感じで、大袈裟な話でなく、第二章を読むのがしんどいほどだった。



※この曲でジョンが「スーハースーハー」するところがドラッグ吸引の引用なんですとたしか歌詞カードにあった気がするので貼りました。



第二章と三章はおもに商品化した医療について。
たくさん付箋を貼ったけれど、ざっくり言うと企業がガンということ。第一章の教育にまつわるマジックと同じで、とにかく国が集めた税金を、企業がキレイに頂戴していく仕組みの完成、なのかまだ完全な完成形なのかは分からない。
 いちよう日本ではあたりまえの医療が、あいだに保険会社を挟みこんで、日本でもよく言われる「効率」だの「合理的」だの「経済的」だのを喧伝されそのように制度が動きはじめてしまうと、人はあっけなく、前近代の人たちとなんら変わらぬような生活に落ちてしまうということ。もう、ちょっとえげつないほどの事例がたくさんあり、社会とはもともとなんのためにあるだろう?と、もうただただこうしたアメリカの現状に呆然としてしまった。



※「この国に対しては、なにか新しい行動が必要なんだ」レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン
この動画を見ると、参議院選挙前のUstreamでM氏とK氏を交えての歓談で、冗談まじりに本当は「非合法手段」しかないのかもと話しているのを視聴したさい、自分なんかは「ぜったいそうだ!」と全面同意した所感を思い出す。またこないだマル激でS氏がそういった非合法行為(515事件/226事件)について問われたさい「言論の自由が制限されている時代であればそれもやむなし。けれど現代は違う」と応じていたのを見て「大人な意見」と首肯したりもした。もしくはサッチャーが亡くなったさいに出たモリッシーの2つのコメントをいま思い出してもいる。もしくは利己心のないよう英才教育を受けたほんとうに高貴な限られた賢人によってしか国家は運営されるべきでないといったとある理念やら(民主主義主義の完全否定)。ともかくこうした動画から発せられうメッセージになぜか心揺さぶられるというのは、僕の使える語彙の中でうまく適当に言い当てることができないかもしれないけれど、あえて言うならば、システムや正しさに抵抗する暴力やメッセージは「美しい」という気がしてならない。

第四章は囚人という無限の労働力。
この章は文字どうり、企業が求める安い労働力という条件を満たす人材が、刑務所内の囚人たちに及んだという話。じつにおそろしい。ドストエフスキーの小説でシベリアで働く囚人の話(違ったかも)があって、その呻吟と苦境が小説として楽しめるのは、ノンフィクションからの創造物というより、距離としてはSFとして読めるのだけれど、この本にあるのは前世紀でもなんでもなくって現代のアメリカの話であり、そのアメリカ式をことごとくなぞる自民党が現在政権与党を担っているというこの図式がほんとうに気味悪い。


※税金未納の孤児院を救ったジェイクとエルウッド。vsネオナチ、極右、カントリーバンド。

↑ 今更ながらこの構図をみて「そういうことだったか」と妙に納得する。どんなふうに納得するのかといえば、短絡的に最近ネオナチ的なものがネットを通じて目に入りやすいからという判断。とはいえ僕もはじめて小林よしのりの『戦争論』を読んだときは「目からウコロが落ちた」的な高揚感にひたって、やたらと人に『戦争論』をすすめたりした。その時自分が何を求めていたのか想像するに、たぶん生まれて初めて日本という国を世界地図のなかに確認したさいの残念さ。アメリカや中国と比べてこんなに小さいのか?とか、カラフルな戦闘ヒーローものシリーズを見て成長したのち、じつは日本が戦争に負け、あげく「自虐」的な文脈で歴史を理解したさいのやるせなさ、こうした観念とも情緒ともいえるものを、あの漫画は物語として、あるいはあの戦争を大東亜戦争という「名詞」を駆使して、それを直感的に理解しやすい情報として投げるものだから、感染しないほうがどうかしているのかもしれない。んが、その裾野をもうちょい拡げると『戦争論』はあくまで偽ではないけれど、数多ある主観の一つでもあるとしつつ、いや、あるていど軽薄な物腰でないといろんな読物が限定され減るという事実に気がついたからでもあったりして。それでじゃあ極右のひとたちの視野が狭いのかといえば、その視野を計測する計器を「寛容」や「情」や「粋」なのだとすると、それはやっぱり狭いんだとおもう。とはいえ自分のまわりに極右を名乗る人が皆無なので、いまのところ僕の知る極右というのはネット上にあらわれる文字にすぎないのだけれど。


 あっというまに話がそれてしまったのでこの本に戻すと、とにかくこの新書は読んでいて暗い道路にネコの死体をみたときのように不快であり、あげくその不快感がじっとりとカラダに染み付き、さらにココに書かれていることが、遠いアメリカのことであるにもかかわらず、なぜか近いうちココ、日本でも遠くない未来に、同じような状況になるだろうといった予感というより、なぜかつよい確信めいたおもいがでてくるから不思議で、その理由はもちろんTPPだの、それを推進する与党が自民であることもあるけれど、なにかこうもっと違う感覚、比喩としては「もう財布にお金が入ってないとき」の確信に近いかんじでしょうか。なんだそりゃ?となるのは当然だけれど、たぶんこないだに選挙があり、誰に入れて誰が当選し、また自民かよっ的なことなど、じつはそんなに重要ではなくって、けっきょくのところ自分は有権者であっても一票しか投じることができないし、あるいはそれ以外の行動を「なにもしていない」という、死んだマグロ感覚というのが、この本に書かれているアメリカの当事者たちの危機感覚とか、実際に起こしている行動と比べたくなってしまう、いわばもうとっくに戦争のような環境にいるのにそれに気づかずのうのうとしている奴の一人、その自虐感でしょうか。

 さいごに不快不快と書いてばかりいてはもったいないのでその不快がソフトに緩和される著者のビジュアルを視認できる動画があったので、いまいちど視聴して「緩和」されようとおもう次第。

 




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