実在するエロマンガ島とギャートルズに心打たれる『エロマンガ島の三人』
『エロマンガ島の三人』長嶋有(著)
erromangoという島が南国に実在しているらしい。それならば「エロマンガ島へ行ってエロマンガを読もう」というもの。
<感想>
登場人物らがゲーム編集者であることから、小説における「引用」や「小道具」として『アムロいきまーす!』といったフックが折々にちりばめられていた。よく言えばナンセンス(最高)、悪くいえばくだらない。また感服するような南国の自然描写も特になし。
だのに恐ろしいほど癒された。
ネタバレ
こと小説のラストにおける、ある古いTVアニメのエンディングを主人公らが口ずさむあたりは、その曲と歌詞がいささか哲学的であるだけに、しばし考えさせられてしまった。というより、わけなく納得させらてしまったというべきか。
それでぼくはそのモヤモヤをぐっと自分のものにするため、すぐさまyoutubeに飛んで、その名曲を聴いてみたのであった。きっと懐かしくてじーんとしたりするのかなと期待したりした。こないだうちに亡くなったという名馬オグリキャップの動画みたいくダウンロード保存もすべきだな、とか。素晴らしかったであろう過去の照明でもって、あんまり素晴らしそうでない暗い未来の奥闇を確認できやしないだろうかと予画するつもりで。
結果、なぜだか知らないけれど小説内で読んだときほどの染みるような懐興はおとずれなかった。その当時のままであろう動画、うすおぼろげにある『ギャートルズ』のままを見たにもかかわらず、その空を見上げて「懐かしいね」とは言えない曇天気分。しかしながら、すぐに自分の足元、地面を見ると至極しぜんに「ああ、そういうことか」と絶望するがいちばんという心の気色。たぶん『やつらの足音のバラード』という曲の不思議は、時間という見えないページをはぐると、今ここにも、子供の頃に感じたときとなんら変わらずに「死」というものを意識させてやまない脱力した表現が、いやにシンプルにまとめあげられているところがいいのかもしれない、とその影響力が、この現代の小説作品のなかで、やはりひょうひょうと“なんにもない”と脈打っていたのだと思い至ったしだい。似たような属性でいうと『マシマロ』だろうか?
雨降りでも気にしない
遅れてても気にしない
笑われても気にしない
知らなくても気にしない君は仏さまのよう
荒野に咲く花のよう
- 作者: 長嶋有
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/07/09
- メディア: 文庫
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