東尾張乱射事件

【次回の記事予定】「お金」で「愛情」や「友情」が買える『脳内麻薬 ドーパミンの正体』を読んだ感想。

NUDE or Higashi

Owari Ranshajiken

ざわざわざわざわ

暑くても、秋。進まなくとも歩く、秋。まるで凍えるのを目指すかのような、夏。

現代人の論語 (文春文庫)

現代人の論語 (文春文庫)

『現代人の論語呉智英(著)
 名古屋が生んだ稀代なる知識人、呉智英論語を解説してくれた本。

〈感想〉
 世の中のおじさんがそうであるように、自分もかつて『論語』を買うには買ってみた。夏目漱石の『こころ』でいうところの「向上心」というやつでさうか。きっと毎日一編づつ読み進めるつもりで。さて、自分の場合はわずか数編で『論語』は本棚の飾りとなった。「ああ、あすこに『論語』がある。人生まずまずだ」といった調子。まあ、自分の場合はよくあるパターンでもある。
 そんな自分であるのだがこの本を読んで以後、も・いっかい、も・いっかいだけ、『論語』に挑んでみようかなどと考えている。いや、そういいつつまた挫折するのは目に見えている。それでもね・・・・・・
 つまりは感染したのかもしれない。まさか論語の解説書で、胸がジンとくるとは思わなかった。というか、孔子という思想家がものした『論語』を、これまで本格的に誤解をしていたというべきか。いままでは、どちかというと格言やら、ことわざ的な毒にも薬にもなる、つまりは慰言のようなものとしてとらえてきたふしが自分にはあった。ところがこの解説本を読むとまったく異なるのだと理解した。冷静沈着である孔子の「論語の中のことば」にも、文芸評論家がこぞって分析し、その深層心理に横たわる「むきだしの愛」似た感情があるのだということがわかった。

「子 曰く、我を知ることなきかな」(憲問篇14−3)
 弟子を戒め、自らをも戒めながら、孔子は、私の才能も志も理解されないなあと、嘆いているのだ。
 世界を理解すべく思想を持った人を、だが、その世界は理解してくれない。しかもなお、思想は人を魅了し、思想の魔力は人を悩ます。こんな奇妙な「思想なるもの」に人類最初に目覚めた孔子は、目覚めた者の孤独と悲哀を身にしみて感じていたのである。


 道なき道をめざしながら各地を放浪すること14年、74で亡くなったという、分厚い男の言葉が、こちらに染みてこないわけがない。くわえて言えば、少し妄想にもなるが、そうした孔子のなりゆきやら、心情がそっくりとそのまま、色や声や老化が実体となり、この本の著者、呉智英に重なって読めてしまうのであった。また、さらにおっきっく飛躍してたとえるなら映画『レスラー』さえ彷彿してしまった。ミッキーロークが四角いリングのコーナーポストの最上段から、ボーディープレスを仕掛けるため、両手をひろげてジャンプしたあとの顛末を僕らは知ることができないというラストが、ひとまず僕がこの本から感じることができた思想なのかもしれない。大江けんざぶろうの小説タイトルでいうところの『見るまへに跳べ』というシチュエーションが、この先の人生に呼び込めるかどうかという「意志」への問いなのかもしれない、とも・・・・・・
 とはいえ、なかなか誰しも三島由紀夫のようにはいかないがゆえに、そのもどかしさが「今の大人」のような気がしないでもない。

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