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東尾張乱射事件

【次回の記事予定】「お金」で「愛情」や「友情」が買える『脳内麻薬 ドーパミンの正体』を読んだ感想。

NUDE or Higashi

Owari Ranshajiken

ざわざわざわざわ

In my younger and more vulnerable years

The Great Gatsby (Essential Penguin)

The Great Gatsby (Essential Penguin)

『The Great Gatsby』by F.Scott Fitzgerald

<感想>

「ついに、読了しました(原文版)」とすると、少々語弊があるかもしれない。それでも「内容を理解している」という見解に照らしてみると、まあ読んだ部類に入るのでは? と自負してもいる。だって、誰の迷惑にもならないはずだから。
 とはいえ、同タイトルの翻訳されたものをすでに自分は「二度も!」読了しているのだから、今回にかぎって理解できませんでしたとなると、そのほうがかえってどうかしている……などと言いつつ、この本を開いて読了するまでにかかった期間が、なんと2年!――なのであまり威張れた話ではない。

はじめて『華麗なるギャッツビー』を読んだとき、

自分は正直、この小説のどこが面白いのかさっぱりだった。ロバート・レッドフォードが主演の同名映画が影響しているのかもしれない。なにか予定調和小説のような気がして疑わなかった。それでもなぜ読んだのかといえば、あの偉大な村上春樹がスコット・フィツジェラルドに心酔しきっているらしいという、その一理にのみ盲従したのであった。その当時の自分は、もうただ漠然と本を開いて、読了し、そしてついには何も読み取れなかった。でも、「ほんとうのところはもっと面白い小説なのかもしらん。畢竟、こりゃ自分が勉強不足のためだ」と本を閉じた。で、本を閉じたそばから『ノルウェイの森』をペラペラめくって、どのあたりにスコット・フィツジェラルドについて書かれてあったけかなあ、などと、何かを取り戻すようにして「ノルウェイの森の上」だけを読んでよしとした。

ギャッツビーを追いかける

 それから村上春樹のガイドに習い、フィッツジェラルドの短編なんかをコツコツと読んだ。とてもバブリーな時代の仕掛けが、小説内にくまなくあったりしてそれなりに楽しく読んだ。で、さらなるガイドに習ってレイモンド・カーヴァーを読み、ティム・オブライエンの『ニュークリアエイジ』なんかにも手を出した。で、このティム・オブライエンがくせもので、とうとう読了できなかった。途中で意味がわからなくなってしまったのだ。

 仕方ないから、もう一度『華麗なるギャッツビー』を読むことにした。

その二回目の『華麗なるギャッツビー』は、訳も村上版である。

 そしてすかさず、最初の一ページ目を読んだところでフラッシュバックした。

『風の歌を聴け』とか『羊をめぐる冒険』あたりのちょっとクールに疲れた感じの一人称。でもすぐにキャラウェイ家の話になり、トムブキャナンの話となり、ウィルソン夫妻の話などが続いて、しょうしょう飽きがくる。それゆえ、たまに「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! 」となるが、ギャッツビーの登場だった。

DTでDTなDT

 勝手に妄想をつけくわて楽しむとしたら、やはり童貞の象徴としてギャッツビーが機能していたとしか考えられない。童貞という表現が下品となるならば、もう生きていない男の子というべきか。つまりは故人という、もう完全に実存しない、あえて実存しているとしたら、それこそ羞恥に震える己の反映、記憶の中とか、読み手の脳内にしか生きていないというところだろうか。そしてそのような恐怖がギャッツビーであり、また、そのようなあまりにも無様なギャッツビーを、けっして嘲笑することをしないニック・キャラウェイという視点が、後半でブツリと断ち切らるというとあっけなさに、この小説の異様な盛り上がりがあり、と同時に、すっかりと忘れていた最初の一ページにのみ用意されていた、例のちょっとクールに疲れた感じの一人称が、ギャッツビーの死後あたりに蘇ってくるという仕掛けが、たしょうゾクゾクするのかもしれない。

「もうこの世界にいは居ないギャッツビー」の現実を重苦しく語る。その感じが、村上春樹のエッセイなんかにたびたびある、もう二度と会うはずのないあの娘(チャーミング)、いや違う! でもあの娘にそっくりだ。そんなあの娘にそっくりな彼女が意図せずして僕を「裏切る」という時間の停止。カチカチに固まって動けないというより、もともと過去のあの時点から、じつは一秒たりとも進んでなどいないのでは? そうなるとそもそも僕などこの世に存在などしていなかったのではないかというくらいの悲しみ。その悲しみを煽るようにして彼女は僕のことを嘲笑する――と、ふとそこで愚弄されるギャッツビーがフラッシュバックするという仕掛け。
 というのが今回、

三度目の『華麗なるギャッツビー』を読んでみてみつけた面白みである。

 ちなみに今回は「YOHANナビつき洋書」という本で、たいへん便利なことに巻末に簡単な単語辞書があった。利用したのかといえば、「わからない単語があってもどんどん読みすすめたほうがいい」といった村上ガイドに習い、あまり利用しなかった。ただザラザラのペーパーバックと異なり、紙質がよいので、簡単なメモ書きをするにはじつにうってつけだった。

グレート・ギャツビー (YOHANナビつき洋書)

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グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

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立ち読みにて

 で、こないだ本屋さんで↑の小川高義訳の「一ページ目」を立ち読みしてみた。すると、もっとも困難であろう、問題の「一ページ目」が、じつにしっくりと訳してあるのに、ウソのようんだけれど、ぼくは感動していた。そういうふうにくるのか、と。できればよほど時間と根気に意欲がこののち湧いたらば、もっ一回、この翻訳版と原文とを交互に読んでみたいとさえ、ほのかに思っている次第。

old sporについて

 あと“old sport”という表現というより、音がなかなか“なにげに”いいのかもしれない。検索すると、「やあ、君」ということらしい。たしかサリンジャー戦記だかにも書いてあったかもしれないけど。

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