退屈な人生とたたかうとき、人は田村を待つときだけ休める
- 作者: 朝倉かすみ
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/11/11
- メディア: 文庫
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『田村はまだか』朝倉かすみ(著)
札幌はススキノのスナック。小学校のクラス会のために集った、男3人と女ふたり。皆40歳。皆を待たせているのが「田村久志」という豆腐屋を営む男。
かつて「田村久志」は、『桃色の、女の子のジャージを着ていた。虎刈りの頭でひとつうなずき、こうつづける』
どうせ死ぬから、今、生きているんじゃないのか
〈感想〉
どうして人間はここまでみごとに孤独なんだらう? と素直に胸を打たれた。
自分的には第二話の『パンダ全速力』あたりから“ぐぐっ”ときた。それはたぶん「同情」とか「憐憫」の話だろうか。同情されたくないゆえに他者に対しても同情はしないでおこう! という面状をよそおいつつ、ほんとうはなんとかしたいという心理。悪く言えば見え透いた偽善? また世の中の現実は「同情」や「熱意」などなんの役にもたたないという「40歳手前の男の実感」があったりもする。だが、それでも何もしないよりは「まだましなのかもしれない」という根拠のない「押し」を、一世代前の上司と共有する瞬間。男はパンダの着ぐるみのまま、貧しい母子家庭のアパートの扉をノックする。昼間にあえて無視した内気な子供へそっと風船を手渡す。が、子供はたいして喜ばない。あげく泣き叫ぶ。その泣く子供を叱責する母親。男は「ここでも」気のきいたことが言えない。それでも全速力で走った記憶をもとにして、今スナックで皆に話している。田村を待つあいだに……
伊吹祥子は、ヱビスビールをひと息にのんだ。きっと、別れたかったんだわ。でも、理由がないから別れられなかっただけんだわ。
結婚と離婚と理由と過去と今とこれから。おなじ不倫をしてもまったく異なる結果をどう受け止めるか。意気込みとしては「ぜったいに後悔なんてしていない」という船を浮かせるために、ぐびぐびと酒という水面を作る。んが、そうした「水辺の景色」そのものを前提になくてもよい関係というのが、どうやら「田村を待つ」こと自体に救いでもあるように読めた。
田村は来るのか、来ないのか?
あと特別収録されていた
『おまえ、井上鏡子だろ』もヒリヒリとくる短編で良かった。
天才的に生きる人も大変なのかもしれない。が、じつは平凡に生きておる、ただ単に生きる事自体が相当にしんどいという真理。「自己認証に恵まれない」まま齢をかさねることの寒さ。氷のような寒さ。その冷気は「そのひとのことを深く知らなくとも」伝わるという短編。