東尾張乱射事件

【次回の記事予定】「お金」で「愛情」や「友情」が買える『脳内麻薬 ドーパミンの正体』を読んだ感想。

NUDE or Higashi

Owari Ranshajiken

ざわざわざわざわ

村上春樹から受け継ぐエレクチオンしない頃

『色彩をもたない多崎つくると、巡礼の年』


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


【友だちとは?それでもぼくは生きている】

 友人たちから一方的に縁を切られてしまった主人公。以来、疎遠となった理由がずっと気になってはいるものの、何もできずにに過ごした半生。

ところが、36歳になった春、2つ年上の女性と出会いセックスをする。が、なぜかエレクチオンしない。その事件を機に、主人公は勢い過去の友人たちを訪問することを決意する。名古屋へ、フィンランドへ。

【記憶と思い出と欲望のストーリー】

 好きなあの娘はもう「この世」に存在しない。ありがちなことだけれども、主人公は故人を神聖化する。その神聖化を書評家は「トラウマ」といい、ある学者は「呪い」といい、村上春樹の場合は、自身の作品内で、その救えたかもしれない彼女の服を剥ぎ、蹂躙し、それでもなんだか不思議な物語にまで昇華させる。




 似たような要素のある作品として、今年『その夜の侍』赤堀雅秋(監督)という映画を劇場でみた。亡くなった彼女の声が残っている留守電を何度もくりかえし聴き返す主人公。子供用のプリンをたくさん食べると彼女が「もう、ぷんぷん」といって主人公を可愛く叱ってくれたそのシーンを愛するあまり、毎日狂ったようにプリンを食べ続ける主人公。
  対して、この小説の主人公である多崎つくるはどうか? 
 具体的なエピソードはない(すでに僕が忘れてしまったのかもしれないけど)。
 いや、あるとしたらフランツ・リストという作曲家の、『巡礼の年/ル・マル・デュ・ペイ』がそれにあたるかもしれない。
 とはいえ、僕にそういった教養がないだけの事なのかもしれないけれど、性欲旺盛な高校生が、こんな枯れきった不協和音っぽい地味なクラッシクを聴くのに、大事な日常の時間を割くだろうか。おなじ不協和音でも、もっとちがう洗練された名曲がありそうなもんだけどなあ、と――僕はいま、youtubeの音源を実際に聴いてみて「ありえない」といって首を左右に振っている。



フランツ・リスト『巡礼の年/ル・マル・デュ・ペイ』


文句になってしまう感想

 登場人物の特徴を「色」に例える設定というのが、『レザボアドッグス』やポール・オースターの『幽霊たち』っぽいなあと、まずは思った。

 というか、この脱力したようなリラックス設定はあきらかに、「まあ、あとで手直しすればいっか!」的な匂いがぷんぷんして、村上春樹が好きな自分としては、「アカ」がどうした「クロ」がどうしたという語句を読むにつけ、そのたびごとに胸が痛んだ。




アカは成績が図抜けて優秀だった。
アオはラグビー部のフォワードで、体格は申し分なかった。
シロは古い日本人形を思わせる端正な顔立ちで、長身でほっそりして、モデルのような体型だった。
クロは容貌についていえば、十人並みよりはいくらか上というところだ。
彼の名前は灰田といった。(···)ミスターグレイ。灰色はもちろんとても控えめな色ではあるけれど。
多崎つくるだけがこれという特徴や個性を持ち合わせない人間だった。

文句になってしまう感想2

『グレート・ギャッツビー』という小説は、どこをどう抜き読みしても名文なんだ!というようなことを村上春樹のエッセイだったか、小説の登場人物だったかが、そう言っており、またそうした定義が小説だとしたら、村上春樹の文章というのは、過去作の幾つかには、たしかにそういう力があって、正直、ストーリーはやや重みのあるおまけみたいなもの、だという気が僕なんかはしていて、げんにタンブラーなんかでも、たまに出会うと、「ああ、これだこれだ」と唸らざるえないのに······


なのに···


【では、どういう村上作品ならいいのか?】

 ぼくがいちばん好きなのは『ねじまき鳥クロニクル』『中国行きのスロウ・ボート』。それからレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』(訳は清水版)の主人公とそっくりな、語りをする村上小説がお気にリで、さらに、おっぱいの大きい女の子がいて、みずみずしい食べものの描写があり、主人公の社会不適合者である要素が、逆に、在るちがう価値観の希少さをなんとか保証してくれているような「気にさせてくれる」世界観に魅力を感じているんだとおもう。
とくに『ねじまき鳥クロニクル』(無職の男の話)を読んだときは、まことに運よく僕も「無職」であったため、強力に自己投影して読むことができたということも好きになった理由の一つ。

 そうして、当たり前といえばそうなのだけれども、そうした要素(無職・おっぱい・クール。略してMOC)というものが、村上作品にしか見当たらないということ。もしもう一度その衝撃に出会いたいのであるならば、当然、その第一人者である村上春樹の作品を読むしかないので、ある種のジャンキーのごとく、その作品に期待してしまう。ゆえに「どれだけ悪評であるとも」売上をのばし、その作品の質に見合わない流行を社会にもたらすという――それが、そっくりそのまま村上春樹を読む読者がそのまま巡礼をしていない、トラウマを抱えたままの「多崎つくる」なのでは?というふうに僕は、読んだ。

読み物としての美点

 唯一の美点は、やはり読みやすいということ。それは改行が多いという意味ではなく、リズムがしっくりとくるという意味ありで。それだけはほんと、どれだけ眠たかろうとも、いつでも心地よく読むことができた。
もっとも他の有名ブロガーさんの感想を読むと、「3時間で読了」というひともいて、ぼくが「読みやすいから読了できました」というのが恥ずかしくなるような「タイム告知」だなあ、とおもいつつ、正直うらやましい。



※いっしょに行った友達は「どこがいいんだかさっぱりわからん」と言っていて、たしかに退屈なところも多々あった。また、ラストが「*バラせない」なんとも「いい」とも「悪い」とも言えないかんじでした。

で、いまあらためて予告動画↑を見てじーんときてる。

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