名作っぽい『華氏451度』レイ・ブラッドベリを読んでみる。
- 作者: レイブラッドベリ
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/11
- メディア: 文庫
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『華氏451度』レイ・ブラッドベリ(著)
本の所蔵さえ違法となる未来世界。その違法を取り締まる主人公が、本を焼くために放った炎と共に焼身を覚悟する老婆の姿に打たれ、何事かを改心してゆく・・・・・・
感想
面白かったのかといえば微妙だった。
たとえばこの設定が、「管理されたくない側」にくみする読者が一定数あるという前提なのだとすると、果たして現在にもその前提は通ずるのかといえば、どうなのだろうと現在に生きる自分の場合、時折考えてしまった。なぜなら、この小説の場合、管理する代替として、かなりの便利品、思考停止して欲望をじゅうぶんに満足させる体験と安定と時間を供給したりするもんだから、よほど好意的にいえば、書物の快楽はないけれど、「不安ゼロ」の社会が実現しているようにも読めてしまった。死を恐れるバリバリの小市民視点。大上段視点からいえば、書物の快楽は「不安」さえ超越したなにかをもたらしてくれる。あるいは、愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶという格言からいうと、「管理する側」は賢者であるがゆえに書物を禁止しているということだろうか。
あと名作として名高い映画もあるらしいので近々みてみたい。
いや、なに、キリスト誕生以前に、不死身(フェニックス)とうおかしな鳥がおった。何百年かごとに、薪を積みあげて、自分自身を火葬にする。きっとあいつは、人間のいとこだったんだろうな。ところが、この鳥は自分を火葬にするたびに、その灰のなかから、とび出すんだ。おなじものに、もう一度生まれでるんだよ。そっくり、もとのすがたにだ。どうだね? わたしたちに似ておるとは思わんかね? わたしたちもそれとおなじことを、何度となくくりかえしておる。ただ、わたしたちには不死身(フェニックス)のもっておらなんだものがある。わたしたちには、いまやったことの愚劣さがわかるのだ。一千年ものながいあいだ、やりとおしてきた行為の愚劣さがわかるんだよ。それが理解できて、しかも、そのばかな結果を見ておるので、いつかは、火葬用の薪の山をこしらえたり、燃え上がる火のなかへとびこむまねをやめるときがくる。
『Fahrenheit 451』フランソワ・トリュフォー(監督)