三島由紀夫を読んでみるPart3 美しいひとに出会うとまずプラトニックになるという欲望
- 作者: 三島由紀夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1964/05/04
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 33回
- この商品を含むブログ (59件) を見る
『禁色』三島由紀夫(著)
二行であらすじ
希にみる美しい容姿をした青年と出会った老作家は、その青年がゲイであることを由に、ある復讐を画策する。過去に老作家と関係し、彼を捨て去った女たちへの復讐。と、老作家が、これまであえて記すことを避けてきた、まぶしすぎる不条理な青春悲劇への焦燥と感染。
感想
一にも二にも主人公であるユウイチという青年の外見が、三島由紀夫の天才的な描写でもって賞賛され尽くされている。ざっと500ページ。でもって、それら肉体賛美の描写をしばらく黙読していると、知らず知らずのうちに説得されるというか、ある状態に洗脳された状態になってしまうというべきか。すなわち、若い青年の身体について。その肌が綺麗であった場合。その筋肉や各パーツの描くダイナミックな稜線が、なにかしら理想的でかつ、真に美的ともいえる生きた裸像が、すぐ至近に存在した場合、人は、男は、女は、そ美しき対象に対して無力とならざるえないということ。彼の裸を前にすると、もはや傍観し、欲望するだけの主体にすぎず、そうなると、あるはずの壁、性差であるとか社会的な規範などを軽く通り越してしまい、残る欲望は「人間」であるがゆえに、その美をただただ「欲する動物」ではあるが傍観することに精神的な美学が育つのだということ。といったような観念が、読んでいるうちなにか自明であるかのように、思われてくる。
ゲイ文化との契約を求められる
もう、まったくその毛(男色)などないと思っていた自分なのではあるけれど、ひょっとしてひょっとすると、自分にもそういった傾向がかなりあるのだろうか? そんなムズムズ体験を読書中何度もすることとなった。もしくは未だにこの社会ではそうした関係が禁忌さており、だからゆえに発動する欲望が、やはり僕の中にも顕在しており、そこを静かにくすぐられたというべきか。そうだとするとこうした妙なムズムズ感は、自分がオトコであるということが前提なのかもしれないし、あるいは三島由紀夫の多種多様な肉体賛美の描写を十全に楽しもうと欲すると、その美を味わう最初の踏み絵として、どうしたって踏まねばならない踏み絵というのが、同性への欲望になるのだろうか。そうして、
「はい。わたしは肉欲的な欲望としてそれらを受け入れることに依存ありません」
といったゲイ文化との契約を、この小説を消費するあいだのみはしなければいけないのかもしれない。
なんにしても、すくなからぬ違和感をもちながらも、無理くり同意させてしまうよな三島マジックがこの小説の快楽なのかもしれない。とにかく何を読み、胸中でなにを想像するにせよ、その描写や単語のいちいちに、僕は唸らずにはいられなかった。ある事物を掬いあげたあとの逆説性や、その逆説性にまつわる多様さや、また自然界に散見してはいるがしかし普段、けっして明視することの叶わない、美的細部の描写に、感謝したくなるほど読み味わうこととなった。
生々しい女性の部位がもたらす映像化不可能なラストの描写
そしてまさしく人が、そうした完全なる美のひとつである(青年)を前にしたさいの無力さというのが、この小説では、老作家をはじめ、籠絡される無数の男女たちの内面描写や設定において、ある種の、利己放棄という快楽の仕組みや、視点などがそれこそ多層的にしかれており、果ては美そのものであるゲイの青年、これまで見られる側の世界に属するしかなかった青年の目に、偽装結婚した妻の出産にたちあう場面において、彼女の陰部、彼にとってはもっとも嫌むべき場所を直視することによって、ゲイであるという属性やそこにまつわる自分なりの愛(観念)を静かに見いだすに至る。とそこで、決して普通ではないものの、たしかにそれも愛だといえるような二人の関係を読まされると、ほんとっ、この作家の世界観の分厚さに心底感服してしまうに至ったなり。